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支援者からの手紙やメール(Volunteer Activity)

東日本大震災被災者の方々より支援物資継続送付へのお礼が届きました!

「いつも本当に言葉に出来ないくらいの気持ちをありがとう。
今回は言葉たらずだけど物資を頂いた障害者の方々が、手紙を書いてくれたので同封します」と、物資を岩手・宮城の支援物資が届きにくい施設や家屋などで避難している方々を重点的にサポートして頂いている自身も被災された友人から預かった手紙と写真を公開します。(下には「命を救ったTシャツ」の情報が掲載されています)

<<被災地からの手紙>>

「シャンプーなどありがとうございます。大切に使うのでどうもありがとうございました」

「初めまして!いつもいつもありがとうございます。ほしい物があっても、これ一つがまんすれば子供たちに買ってあげられる、いつもそう思ってがまんしてしまいます。本当に感謝しています」

「どうもありがとうございます。いつも、たすかるものをありがとう。また、きかいがありましたらタオル、シャンプーなどをお願いします。ありがとう」

「こんにちはS(名前が書いてあります)と言います。 いつもいつもたくさんの物ありがとうございます。大切に使わせてもらいます。これからも頑張ります」

「いつもいつもありがとうございます。Tシャツ、本、CD、シャンプー、リンス、手ぬぐい、いたんだかみにつける薬をもらいました。大変ありがたいです。どうもありがとうございました。これからもよろしくお願い致します」

「私はM(お名前です)です。いつもうれしいです。 だれもいなくなりましたが生きます。Nさんが生きろといいます。生きますのでよろしくお願いします」

「おくりものでいつもたすかります。ボクはひとりになりました。でも、みんなやさしいです。いつもありがとうございます」

 

※平仮名や震える手で一生懸命に書かれた手紙に私は背中を押されました。
継続は力なり。復興はまだ遠い。だからこそつながっていたいんだと。

 

ブームで終わらせないで下さい!

お金より、被災者が今求めているものは生活必需品。
家族や家、職場が流されて、命は助かったけれどお金が無くて生活が出来ない。でも、義援金配布の対象にもならない。
そんな人たちの自殺が今も増え続けています。
真実は表にはでないことがこの国では沢山あります。
東京に行ったとき、仙台で自宅を流されたという男性がタクシーの運転手をしておられ出会いました。
衝撃的なお話を耳にすることになりました。
震災の後、水が引いて、ちぎれた死体の手や足、胴体や頭部などが橋に引っ掛っているのを見ながら、何も無くなった更地で子どもたちが遊ぶ姿を見て心を病み、辛くて地元を離れたそうです。
家族を置いて東京に出ると決めた時は辛かったと話しておられました。メディアには、被災者が出して欲しい真実が出されないと東京に来て腹が立ったと涙を浮かべておられました。
 毎日、海沿いを一人で歩く少年がいました。お母さんに会いたいと泣きながら毎日、裸足で海沿いを歩いているのです。
報道関係者が軽く声をかけたのを見て、Nさんは憤りを隠せなかったとか。
障がい者を家族に持つ人たちは避難所に行けず、支援物資も届かず、訪問した時は餓死していた人も多数いたと聞いた時、たまりませんでした。
 私は4月から、毎月、支援物資を全国から集めてNさんの自宅へ送り、配布してもらうという連携プレイをすることを続けています。
支援物資は確実に減り、お金を持っている人ほど、義援金や支援物資の協力を呼び掛けても無視されるという現実にぶち当たりました。
自分なりに、どうすれば継続できるかを考えた時、被災者がデザインしたTシャツを作りました。このTシャツを着て、震災で家族を全て失った自殺願望を持つ少年が言いました。
「僕は生きます。」と。彼は寒くてもTシャツを脱ごうとしないそうです。生きるために…
最初は150枚を被災地へ送りました。奪い合いになったそうです。

こんなボランティア活動をしています(^-^)

プロになっても何ら変わらない生き方を貫こうと決めてボランティアを、無理なく続けています。
法務省から許可を受け、正式なプロとして少年院の慰問活動や児童擁護施設や老人ホームなどでの慰問ライブ、幼稚園や保育園などでファミリーコンサートを続けています。
今は2011年3月に発生した東北大震災の被災者へ毎月一回、段ボールいっぱいの支援物資を集めては送っています。
物資はどんどん集まらなくなって来ています。
でも、呼びかけ続ける。
これが私の生き方なのでございます(^-^)